カテゴリー: 旅
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岩手の旅はとても刺激的でした。肉体的な疲れはほとんどありませんでしたが、自分の子どもの頃の思い出とか、父の幼い頃の話に触れたり、震災被害のこと、そして起業している今、30年くらいの期間のことがどっと押し寄せてきた感じです。
もう1月も終わりで2月が頑張り時です。サッカーもシーズンが始まるので、バランスとって乗り越えていきたいです。
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親戚がいるにもかかわらず震災後に一度も行けず、今回披露宴の招待状をもらって被災者である親戚に肩を押してもらう形で32年振りに父の故郷である田野畑村を訪れました。
30年前がどんな村だったかほとんど記憶はありませんが、家があるべき場所にないことははっきり分かり、さすがに瓦礫はなくなっていましたが大きく欠けたコンクリートの堤防などから、自然の力の大きさを見ることができました。
親戚の家は流されなかったものの1Fが浸水し仮設住宅住まいでした。それでも家が流されて何もなくなった人よりマシだとのことでした。流された人に聞いたら写真1枚出てこなかったと聞きました。何も言えませんでした。
仮設の中に入りましたが、狭い分、暖房効率が良いのか思ったより暖かかったです。おばさんは「次の冬には家に移れるかな?」と言ってましたが、移転予定地を見てきましたが遺跡発掘で時間が掛かり、これからようやく地盤整備の段階でまだ1年以上かかりそうだとのことで、日々の仮設住宅暮らしがこたえているんだろうなと思いました。
浸水した家は直さないのか?と聞くと、建てても津波で流されるかもしれないことを考えると踏み切れないとのことでした。
また父の生まれ育った本家旅館にもお邪魔して、所有していた土地の大部分が津波浸水地域と認定され、宅地としての価値が0円になってしまったそうです。石垣が家は守ってくれましたが、それぞれがいろいろなものを失って傷ついていることが分かりました。
そういう状況を抱えながらも、地元のホテルが復旧して最初の披露宴を行うことを決めて、招待していただいた訳です。誘われて欠席するわけにはいきませんでした。
ホテルの部屋の窓からの海は穏やかですが、いつも津波に備えて過ごしてきたこの地域の人たち、そして実際に被災して今も不便な生活をしています。それでも地元に残り、地元の産業復興に尽力しています。やはり人のつながりがそうさせてるんだなと思いました。
自分ができることは人のつながりを増やすこと。親戚のいる岩手と今、自分の身近にいる友達をつなぐことで何かが生まれると思います。
朝の太平洋
朝の羅賀港
弁天島
羅賀トンネル
朝の平井賀港
家が流された平井賀地区(1)
家が流された平井賀地区(2)
本家旅館(1)
本家旅館(2)
本家旅館(3)
本家旅館(4)
本家旅館(5)
家が流された平井賀地区(3)
本家旅館(6)
家が流された平井賀地区(4)
家が流された羅賀地区
宮古の魚菜市場
盛岡市内からの岩手山
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朝食後、お風呂に入って午前中はゆっくり過ごしました。
13時からの披露宴でしたが、羅賀荘が復旧して最初の披露宴ということで、地元の人たちにとって感慨深かったと思います。
披露宴中、父に子供の頃に世話になったとか、懐かしい話を聞いて涙が出てしまいました。父の子供の頃の話は父からもそんなに聞かされたことがなく、しかも見ず知らずの人からそういう話を聞いて感動しました。
披露宴は17時頃お開きになり、部屋に戻ってから祝宴が続きました。皆人当りがよく、よく飲み、22時まで続きました。自分も普段はここまで飲みませんが、そういう雰囲気だったと思います。
ホテル羅賀荘のロビー
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夜行バスはお酒飲んで熟睡を目指しましたが、2時間おきに起きて、尾てい骨も痛くなって、今回も懲りたけど、時間を有効活用して移動できるので重宝です。7時に宮古に着いて市場で朝食を摂ろうと思いましたが、電車までの時間がなかったため、駅のそば屋で食べました。
それから電車に乗って、津波被害により連絡バスでの移動になる小本駅にたどり着いたら何と、バスが午後までありません。仕方がないのでお誘いいただいた従兄の山根さんに電話して迎えに来てもらいました。
そのまま車で仮設住宅にお邪魔して、被災した家(1F部分が浸水し、建物は再生可能な状態)を見てから昼食は海鮮丼をいただきました。
それから仮設に戻りさすがに疲れて昼寝しました。昼寝から起きて披露宴の席次表を作成するのを手伝って北山崎に連れて行ってもらい、ホテル羅賀荘にチェックインしました。夕食まで仕事しましたが、ネットがとても不安定で遅くてイライラしました。
夕食は一人で淋しかったのですが、隣の席の人が披露宴に参加される方で、一緒に飲みましょうって誘ったら飲んでくれました。やっぱり食事は会話とともに楽しみたいです。食事が終わってから大浴場に入って残りの仕事を片付けて寝ました。
32年ぶりに父の故郷を訪れて、懐かしいと思える部分と、こんなだったかな?みたいなところもあったりして、被災や復興の話とともに刺激的な1日でした。
乗った夜行バス
JR宮古駅(1)
JR宮古駅(2)
三陸鉄道北リアス線時刻表
三陸鉄道宮古駅
三陸鉄道電車
田野畑村羅賀の風景(1)
田野畑村羅賀の風景(2)
田野畑村羅賀の風景(3)
北山崎(1)
北山崎(2)
北山崎(3)
北山崎(4)
北山崎(5)
北山崎(6)
北山崎(7)
北山崎(8)
北山崎(9)
北山崎(10)
羅賀港(1)
羅賀港(2)
羅賀港(3)
羅賀港(4)
羅賀港(5)
ホテル羅賀荘の部屋
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今年1年を振り返ります。
さすがに前期業績が悪かったので、勘が働いたのか家計の見直しを行おうとしたことから始まった1年でした。住宅ローンの見直しで借り換えを検討して結局最後に現行の金融機関が利率を大幅に下げてきて継続することになりました。その後、太陽光発電&オール電化の導入を行いました。思ったよりも時間が掛かりましたが、まずまずのパフォーマンスで1年後に集計して評価したいと思います。
そうこうしている内にさすがに転職活動を行わざるを得なくなり、いくつも応募して最終面接まで行くも内定に至りませんでした。そんな中で7月末に退職して失業状態を経て、ちょうどお付き合いしていた会社の人やこれまでの仕事のつながりで、自分を細切れにすればそれなりに収入が確保できる目途が立ち、会社にいることの価値と比較して起業することを選びました。決めてからは怒涛の勢いで設立し、即契約して3ヶ月突っ走ってきました。まだ安定とはいきませんが、今は増員の検討もし始めています。
12月には上海とミャンマーに行きました。いろいろな刺激や友達のアドバイスを受けて将来が見えてきた感じです。
サッカーの方は怪我もなく1年間まずまずのパフォーマンスで優勝、第3位と好成績を残すことができました。
ホームステイも2人受け入れました。
山あり谷ありの1年でしたが、選択してきたことは絶対に間違っていないと信じて来年も楽しく気合いと真心で頑張っていきたいと思います。
皆さんも良いお年を!
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今回の上海とミャンマーの旅行は、ゆっくり時間を掛けて行ってきました。仕事の方は関係者に協力していただきながら大きなトラブルなく乗り切れました。
上海でお世話になった庄さん、ミャンマーでお世話になった玉に心から感謝しています。
旅行上のトラブルなく、飲み過ぎ、食べ過ぎ、睡眠不足も体調を崩すことなく、最高に楽しい旅になりました。
この旅で新たに出会った人とはつながりを大切にしていきたいと思います。
庄さんは「仲間を作れ」と言ってくれました。玉は「気合いと真心」らしい。分かる気がする、というかきっとそうなんだ。
起業して突っ走った2ヶ月。何でも一人でやろうと思ってきた。なぜなら立ち上げ時期は人を雇うなんてことはできないと思ってきたから。
自分や家族が食べていける収入を得たい。傾いた時のために貯蓄したい。でも一体いくら必要なんだろうか?
ミャンマーに来て、日本の豊かさを感じます。不景気だとかいうけど、充分豊かだと思います。
いい時期にいい経験ができたと思います。
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ミャンマー滞在も最終日。今日も商談に付いてまわりました。
ヤンゴンにもこんな高級リゾート地があるんだと思うようなところに行って、日本から来ているお客様と合流しました。
名刺交換してIT関係です、って挨拶したらちょうど困ってることがあるとのことで、部屋にお邪魔して解決することができました。iPhoneの再起動だけでしたが。。
玉のiOSをアップデートしたり、困っていることを解決してあげたり、簡単なことでもそれなりに知識が役立つんだなあと思いました。
午後は日本から出張で来ている会社の方と話をしてから、カフェに寄って夕食をとり、玉の家で荷物をまとめて空港に急ぎました。
玉には世話になったなあ。玉も苦労したんだろうなあ。2人で飲んで語り合えて楽しかったなあ。空港で別れる時、抱き合って涙が出てきました。何か一緒にやりたい!
高級リゾート(1)
高級リゾート(2)
高級リゾート(3)
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ヤンゴンは観光地というほどではないと思います。ただヤンゴンに来たらバコダを観に行かなければなりません。ということで玉に案内してもらいました。
裸足にならなければならず、足の裏が真っ黒になってしまいました。あとはキンピカな建物と多数の仏像。うーん、あまり興味ない。。。ごめんなさい。もっと勉強せねば。
オフィスで仕事したり、物件観に行ったり、今日もとても楽しい1日でした。ヤンゴンに住んで仕事したいなあ。
それにしてもミャンマービールは旨い!
ヤンゴンの夕日
バコダの菩提樹前で
バコダ(1)
バコダ(2)
バコダ(3)
毎日昼夜お世話になったミャンマービールと大麻栽培撲滅のためにそばを栽培して焼酎を製造
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朝起きて朝食食べて、オフィスに出てメールをチェックして必要な対応をして、ランチ食べて友達のiPhoneのiOSをアップデートして、夕方になってみんなで飲みに行って、家に帰ってからも飲みながら高校時代のサッカーの試合のビデオを見て眠くなって寝る、という生活。そう何日も続けられないけど、これで仕事が回るならいいかも知れないです。
今の自分にはまだ余裕はないのですが、いつでもどこでも仕事ができることがある程度確かめられた旅でした。帰国まであと2日ですが、いろいろな人との出会いの中で、これからにつなげていきたいと思います。
日本人経営のカフェ
夜遅くでも人だかり
カフェのオーナーと店長と
ミャンマー女子代表の熊田監督と
ミャンマーの朝食(玉の奥さんより)
ヤンゴン市内を一望(さくらタワー最上階)
ヤンゴン市内を一望(さくらタワー最上階)
きれいな芝のサッカースタジアム
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ヤンゴン2日目、今日は12続きの日です。昨夜は高校時代の試合を見てから寝ました。玉と2人で懐かしみながら、眠くなって最後は寝ました。
朝は玉の奥さんに朝食を用意してもらい、見晴らしのいい食卓で食べました。
午前中は玉の経営している縫製工場に行き、800人の大工場に驚きと尊敬を覚えました。それから移転を計画している土地に案内してもらい、夢を感じました。
昼はビールを飲みながらイタリアンレストランで食べて、午後はオフィスにお邪魔しました。市場にも足を運びましたが、思ったより高価だったので何も買いませんでした。オフィスは一等地にあり、ここで働くのもいいなあと思うくらいでした。
夕食は日本料理を食べて、それからレストランに移動して、ミャンマー女子代表監督の熊田さんに会って一緒に写真を撮ってもらいました。今日も疲れ果てて帰宅です。そろそろ胃が疲れてきた感じです。
玉の家からヤンゴン市内を望む(1)
玉の家からヤンゴン市内を望む(2)
玉の工場(1)
玉の工場(2)
工場から外を見ると(1)
工場への道
新事業の建設用地(1)
新事業の建設用地(2)
バコダ(仏塔)
マーケット
玉とのツーショット