日や場所が分かるといろいろと波紋が広がる可能性がありますので、投稿日時を偽装して投稿します。
<入院前日>
いよいよ明日、入院です。入院の支度を終えて、これから就寝です。何となく旅行感覚で楽しみにしていましたが、その時が迫ってくると結構緊張してきます。いろいろとやりたいことはありますが、あっという間に退院になるのか、結構暇を持て余すのか想像が付きません。この日まで、患者さん、そのご家族、骨髄バンクのコーディネーターさん、最終同意に立ち会っていただいた弁護士さん、理解していただいた会社、同僚、そして家族、様々な関係者の協力があった訳です。あとはお医者様に身を委ねるだけですが、その一員として頑張りたいと思います。
<入院初日>
入院はいつもの出勤と同じように自転車で行きました。PCを持ったり、着替えがあったりでカバンを2個担いで行きました。駅から歩いて入院手続きです。保険証と診察券を渡して確認が済むと、いよいよ病棟へ。病棟は無菌室になっていて、途中で靴を脱いで扉を2つ通って手を洗って消毒してと、気が引き締まりました。病室は個室でとてもきれいでした。窓からは東京タワーが望めました。採血、検尿と担当医、麻酔科医、薬剤師、看護士が入れ替わり説明と問診に来ました。結構、大ごとだなと思いつつ、仕事の方でトラブルが発生していたため、病室でパソコン開いて仕事していました。昼食、夕食をいただいて下剤を飲んで21時以降飲食禁止でした。シャワーも当分浴びれないので入りました。仕事が一段落して22時頃就寝しました。よく眠れたと思います。
<手術当日>
いよいよ手術日です。朝一で看護士さんに浣腸を入れてもらい、3分くらい我慢してトイレで一気に排出。便が出たのを確認する必要がありナースコールして確認してもらいました。顔を洗ってから手術着に着替えて待機していると、車いすで手術室へ移動です。途中で転んで怪我されると困るとのことで大事をとってです。患者さんが待っている訳ですから自分が無事手術台の乗らないとまずいからです。手術室へ直行かと思ったのですが、手術待合室みたいなところがあって、そこで病棟の看護師さんから手術担当の看護師さんに引継ぎです。その場で他の手術を受ける患者さんを見ましたが、乳児、幼児、小学生くらいの男の子とかいました。男の子が手を振って手術室に向かう時、両親が不安そうに見送っていたのを見て、衝撃的でした。普段、健康に生きていると分からない世界です。健康でいられることにあらためて感謝しました。そうこうしているうちに、自分の担当の看護師さんが挨拶に来ました。歩いて手術室に入りました。これが手術室だ、と思うような手術室でベッドに横になると、左から右から「点滴の針刺します」、「心電図付けます」、とか言われて冷静に周りを確認しながら麻酔が始まるのをドキドキして待っていました。ドキドキしたのはこの瞬間だけでした。では「麻酔の準備始めますよ」と言われると急に眠気が襲ってきて、徹夜して眠気に負けて寝てしまった感じの感覚で、最後に「麻酔、効いてきましたか?」の問いに「はいー」って言ったのを最後に、次起きたら静かな部屋にいました。恐らく手術室の隣の部屋とかだと思います。身動きできないので「今何時ですか?」と聞いたら確か「11時」と言われました。2時間くらい仮死状態だったということです。夢を見たような気もしますが、だんだんと目覚めてきて病室に戻りました。酸素マスクと点滴で身動き取れず、夕方から寝返りくらいはいいとのことになりました。まだ食事は摂れません。ただ点滴で栄養と水分が入っているので、お腹も空きませんし、喉も渇きませんでした。傷は思った程痛くなく、座薬も嫌だったので少しくらいは我慢しようと思いました。その夜は片手でiPhoneを操作する以外は何もできませんでした。夜からおしっこが頻繁にしたくなって夜中に何度もしびんを清掃してもらうお願いを看護士さんにしました。それもあり、ほとんど熟睡できませんでした。こんな話だったっけ?と、ちょっと辛かったです。
<採取翌日>
朝は麻酔が切れて痛みが少し出ました。腰痛みたいなギックリ腰みたいな感覚でした。寝返りを打ってもむず痛い感じでしたが、ベッド疲れだったかも知れません。術後の診察で経過は順調で点滴が外れ、ようやく10時頃、遅い朝食を摂りました。トイレも行けます。仕事のトラブルが収束しておらず、午後から仕事の続きでした。夕方、妻が見舞いに来てくれて、院内のレストランでお茶してディナーを食べました。まずは成功に感謝です。妻が帰った後も23時近くまで仕事して疲れ果てて寝ました。
<採取2日目>
朝、荷物の整理をして、着替えて、洗顔、体を拭いて、洗髪して退院に備えました。採血、採尿し検査の結果問題なし、痛みの方も患部を圧迫しなければ分からないくらいになりましたので、退院です。コーディネータの方が迎えに来てくれて一緒に退院手続きをして帰路につきました。駅に向かう時、コーディネータの方に「このような貴重な機会を与えていただき、ありがとうございました。」と挨拶して別れました。本当に心からそう思うことができました。
<感想、その他>
患者さんにはきちんと届けられ、移植されているだろうとのことでした。詳細は知ることができませんが、これから拒絶反応とかに耐えて患者さん自身のものになってもらえたらと思います。頑張ってください。手紙は1年間の間だけ2回交換できます。双方特定できない内容にしなければなりませんが、年末くらいに書いてみようかなと思います。
手術を担当していただいた医師に手術中の写真を撮ってもらいたいとお願いしましたが、取材等でかつ院長の許可を取ったりする必要があるとのことで断念しました。話を伺うことができ、「とてもよく取れました」と言われましたので、「それは褒められているのですか?」と聞いたら骨が健康ということらしいです。日々の筋トレやサッカーのお蔭かなと思いました。血液検査の結果も良好(ドナーになれるだけでかなり良好らしい)とのことで、脂肪肝の解消だけアドバイスされました。
病室のエアコンはとてもやわらかい空気でした。湿度も高めに設定してあるようで、髪の毛のクセが出てボサボサで過ごしました。のどは少し声が上ずった感じになりましたが痛みはほとんどなく、熱も36.9度までしか上がりませんでした。最初に食べた後、少し下痢になったくらいです。
先生方、看護士さんたちには本当にやさしく接してもらえました。ひとり一人にお礼を言いたかったのですが、「日中担当の○○です」とか「夜担当の○○です」とか言うだけで終わりの時は来てくれません。忙しいので仕方ないですね。
今回は、ボランティアとして骨髄提供を行いましたので、健康な状態での入院です。お産以外は皆、病気や怪我での入院です。そういう意味で、入院という体験ができたのは本当に貴重な体験だった訳です。本当に居心地がよかったので、また行きたいなと思うくらいです。でも行く時は病気ということですから、行かない方がいい場所なんですね。でもそこには本当に笑顔で親切に接してくれるスタッフの方々がいることを知り、自分もそう思ってもらえるようにプロとして仕事をしたいとあらためて思いました。もう一度、提供の機会があったらまた行きたい場所です。
最後に締めくくります。
~~~
関係者すべての方へ
この度は貴重な機会をご支援いただきありがとうございました。
また関係者の皆様の温かいサポートにより、役割を果たせたと思っています。
心から感謝しています。
微力ながら誰かに貢献した(やってあげたという思いが強くなってもいい)のに、
感謝の気持ちを持てるのは不思議な感覚です。
それは受けた感動の方がとても大きいということです。
是非、多くの人に理解をしてもらい、参加してもらいたいです。
これからも多くの人のつながりで、命が救われることを祈ります。

Posted in 日記, 骨髄ドナー

Leave a Comment:

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です