カテゴリー: 日記
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骨髄採取に向けて、全身麻酔の説明を聞き、同意しました。全身麻酔中は夢を見る人もいるらしいです。麻酔から覚めた時も朝の寝起きの感じらしいです。貴重な体験なのでどんな感じになるか興味深いです。
そして2回目の自己血採血。前回、秤の設置場所の問題で400ccのところ500cc採ったとのことで、今回は300ccと思っていたのですが、250ccでいいと言われて、「前回550ccだったんじゃん」とちょっとショックでした。まあ前回500cc採ったと言われて、心理的にクラクラ来たのですが、さらにクラクラ来た感じでした。血液の保存状態は大丈夫なのか確認したら、550ccの保存用の処理を行って保管してあるとのことで、結果オーライです。貧血気味の人だったら大変だったかもしれません。
今回はあっという間に採血が終わってしまって、もうちょっとベッドで横になっていたかった感じでした。
次回は本番採取入院です。自分にしては珍しく、サッカーの試合も休んでその日に備えます。自分の体調管理も重要ですが、怪我をして待っている患者さんに迷惑を掛ける訳にいかないからです。既に放射線治療で自分の骨髄が入ってくる前提で準備を進めているので後戻りできません。自分にはその責任がかかっているということです。
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6月はとにかく忙しかったです。上海から帰国したのが5/29でしたから、1ヶ月前のことではないような気がするくらい長かったです。ほとんどオフィスの自席におらず、お客様先での作業でした。結果的には若干の残作業はありますが、検収いただけました。また、グループの目標も達成できたので、誠実に頑張ってきた甲斐がありました。母の入院もあったりしたので、よく乗り切れたなあと、周りのメンバーや家族に感謝です。
昨日、新年度のキックオフ会があって社長と話をしましたが、いい話をしてもらいました。社長「よくやったね。」、自分「周りのメンバーのお蔭です。自分だけでは何も。。。」、社長「周りのメンバーを巻き込んで、影響を与えたことがすごいんだよ。」と。うれしかったのと、ああ、(プロジェクトって)こういうことなんだ、とあらためて思いました。でも実際、周りのメンバーがいなかったら大変なことになっていたと思います。
あと忘れてならないのが、お客様のご協力です。6月末にカウンターパーソンの方に作業終了後、飲みに誘われたのですが、是非、長いお付き合いを、って先方から言ってもらえたことです。足らないところが多々あったと思いますが、自分としては誠実に努力することだけでしたので、そのことを受け止めていただけたのかなと思いました。
また、開発パートナーの皆様の協力なくして始めることすらできなかったと思います。要件定義から設計、その後の仕様変更や課題への対応、上海のPMも毎日午前3時まで残業して対応いただきました。こちらは課題を数行で連絡するだけですが、実際に影響範囲の特定、コーディング、テストなど実作業は大変なことだったと思います。
今回のプロジェクトは、ちょうど震災の直前に開始し、震災の翌週、お客様と要件定義のために本数の減った電車で通った特別な意味があるプロジェクトでした。私自身が成長できたことはもちろん、プロジェクトに参画したお客様、パートナー様を含めた30人くらいの方に何らかの影響があれば幸いです。それにしても、仕事のことをブログで書いたのって久々のような気がします。
日曜のサッカーだけは休まず、参加しました。でも成績はよくなかったです。なのでブログも書く気分になりませんでした。自分のパフォーマンスも悪く、足首痛もあるのですが、やはり勝利が一番必要です。早く足首痛を治して、ベストコンディションに持っていきたいです。
先日、骨髄提供に同意しました。妻にも同意書にサインしてもらいましたので、この後は自分から断ることはできません。妻に理解してもらえてとても感謝しています。同意面談が終わった後、妻と東京プリンスホテルのブッフェレストラン ポルトに行ってランチしました。暑い日でしたが、妻と平日に都内でランチしたのは、いつ以来かと思います。ランチ後、増上寺に行ったら、七夕が近いためか、短冊に「骨髄提供により、患者さんが助かりますように。」と書きました。
天気のいいガーデンを見ながらのまったりランチ
増上寺と東京タワー
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今日は昼休みに会社の前の歩道のゴミ拾いを行った後、カレー好きの同僚と南インド料理 ダクシンに行きました。3種のカレーと、ナンを1枚おかわりしました。ちょっと汗が出ましたが、美味しかったです。最後に、ラッシーで締めました。ゆっくり話もでき、久々、仕事中のランチタイムを楽しみました。
3種カレーランチ
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1年くらい前に献血した際に、献血ルームで骨髄バンクに登録できるのを知って、登録していたのですが、1万分の1くらいの確率で型が一致した患者さんがいたらしく、声が掛かりました。先日、血液検査して結果は1か月後くらいと聞いていたのですが、出張から帰国したらすぐ選定の連絡がありました。
先週コーディネータの方から妻に説明してもらい、今日、同意してもらい、最終合意することにしました。あまり詳しいことを書くと患者さんの方からドナーを特定できてしまう可能性があるため、日時や病院名は伏せるようにします。
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5月は仕事がとても忙しかったです。特に5/22~29は久々の上海出張で、前準備と後処理で大変でした。6月一杯はプロジェクトの終結に向けた注力が必要です。頑張ろうと思います。
最近、上海には遊びで何回か来る機会がありましたが、出張は8年ぶりくらいでしょうか。今回は視察とか余裕のあるスケジュールではなく、遅延の回復を図るための対策でしたので、1日中、先方の開発PMと打合せでした。自分の中国語は片言だし、先方も日本語はダメなので、通訳を介しての打合せでした。その点も苦労したのですが、通訳の技術者が本当によくやってくれて助かりました。
ということで、行程を振り返ろうと思います。飛行機はH.I.S.でFIX44,410円でした。帰り便が早朝6:20発という初めての経験でした。行きの朝は千葉県で震度4の地震があって空港まで行けるか不安でしたが、新型スカイライナーで時間通り成田に到着しました。チェックインカウンターも空いていてよかったのですが、席は真ん中の席。まあ3時間のフライトだし、チケットも安かったので仕方ないかと思いました。
上海に到着したら、先日結婚式に参加した友人夫婦に迎えに来てもらいました。いつも感謝です。今回は会社の経費節減もあり、友人宅に3泊させてもらって、甘えさせてもらいました。(新婚さんなんですけど。)家に着いてから夕方仕事の続きをしなければならなかったので、2時間くらい近くのショッピングモールに連れて行ってもらいました。そしたらビックリでしたね。もう日本のイオンモールと変わらないです。8年前は、においというか、埃っぽいというか、上海のショッピングセンターだなあと思ったものですが、今や日本と変わらないです。それどころか店内の広さとか景気の良さとか品揃えとか、日本を上回るかも知れません。しかも、それが地下鉄の終点の駅である上海のベッドタウン的な場所でです。感動です。
家に戻って仕事を終えたら、新婦さんに夕食を作っていただいて、3人での夕食です。中国というと、ワイワイガヤガヤたくさんの人数で食事を楽しむイメージですが、家庭料理、団欒って感じでよかったですね。美味しかったですし、何しろ、飲んですぐ横になれるっていうのがいいじゃないですか。DVD屋に行って、ベストキッドやマイケルジャクソンのDVDを買って、みんなでベストキッドを観てから寝ました。
新婦さんに作ってもらったディナー
日曜日の移動で翌日月曜日から1週間の業務の予定でした。朝食をいただいてから、友人は車通勤のため、乗せてもらってオフィスに行きました。日本も同じですが、月曜日は首都高のような高速道路や街中は渋滞でした。まだ自動車保有率は飽和していないと思うので、今後さらに渋滞になるんだろうな、そうなると電車通勤が増えるんだろうな、電車も「すし詰め」なるんだろうな、と日本の高度経済成長期を想像してしまいました。
オフィスは上海のソフトパークにありました。周囲もソフト開発企業が多い場所のようでした。オフィスは先日移転したばかりでしたので、見るのが楽しみの一つでしたが、想像を超える素晴らしさでした。友人は共同経営者の一人で、若い社員が30名くらいはいたと思います。開発PMと挨拶して午前中にプロジェクトメンバー全員を集めてもらって、今回訪問の趣旨を説明しました。午後は適宜、質疑を行い、夕方メンバー全員で夕食を共にしました。やはり、日本と上海で離れていると、なかなか思いや意志が共有できないものですが、食事を共にするというのは、いいことだと思いました。その後の1週間、メンバーと目が合うと、にこやかに挨拶し合えましたから。
新オフィス(1)東京と上海のつながりをイメージ
新オフィス(2)カラフルな家具とレゴブロックのような椅子
新オフィス(3)開放的な会議室
新オフィス(4)明るく開放的な空間
新オフィス(5)1Fから2Fに声を掛けられる
新オフィス(6)エントランスはスーパーマリオ
新オフィス(7)毎日一句で日本との密接度を向上
新オフィス(8)上海版オフィスグリ○
新オフィス(9)2Fのワークスペース
ソフトパーク(1)
ソフトパーク(2)
翌日は朝から夜まで開発PM、通訳と3人で、設計書を読み合わせ、画面で説明を受け、コメントを返し、議論する、というやり取りをしました。疲れ果てましたねー。夜は上海在住している友人と待ち合わせて、上海の友人の案内で隠れ家レストランに行きました。写真に撮りましたが、美味しさは言い表せないですね。いい仲間と、美味しい食事、楽しい会話、もっと時間と気持ちに余裕があればなあと思いましたが、明日もあるので退散しました。それでも最後のお客だったみたいですが。。。
角煮!(写真で表現できない・・・)
3日目は、友人が東京に行くので、その日からホテル暮らしです。新婦さんにお礼を述べてタクシーで移動です。ホテルはまだチェックインできないため、オフィスに出て仕事です。日本の自社とは毎日Skypeで連絡を取り合いました。音声通話もできたので、最初から上海で仕事するのも今後は計画してもいいかなと思いました。この日も夜遅くまで仕事して、21時にホテルに向かいました。ホテルの場所は分かっているので、30分くらい徒歩で行きました。何か上海のビジネスマンみたいな感覚がしました。
ホテルでチェックインしてラッキーなことにエグゼクティブルームにアップグレードされたまではよかったのですが、ここから悲劇の始まりです。どうも疲れたようで、夕食を摂る気になれず、風呂でたまった洗濯物を洗濯してバスローブを着て残務をしていたのですが、結局深夜2時頃、さて寝ようかと思ったら、ひどい寒気がしました。エアコンが上手く調整できず、風邪を引いたのだと思います。急いで厚着して休みましたが、時既に遅し。頭はガンガン、体の震えは止まらず、もしかして、脱水症状か?と思ってミネラルウォーターをがぶ飲み。それも良くなかったかも知れません。
翌朝、ひょっとして治ってる?という甘い考え。さすがに空腹のため、でも食欲がわかず、マックのモーニングセットを食べました。オフィスに出て、その日も1日中、打合せです。さすがに辛くて、何度もトイレに通うことになりました。水しか出ません。トイレの場所も同じ階の端から端まで移動しなければならず、地獄の往復でした。上海に来て、休む訳にはいきません。薬を買ってもらったり、ソファで少し横にならせてもらったりしながら、何とか予定をこなしてホテルへ戻りました。ホテル1Fのファミマで食べやすそうなパンとか飲みやすそうなドリンクを買って部屋で耐えることにしました。何とか治さねばと奮闘しましたが、その甲斐もなく、容赦なく水です。
上海マックのエッグマックマフィン
それでも金曜日はだいぶ回復して、一部課題は残りましたが、一応、上海に来た目的は達成できました。土曜日は朝からホテルの部屋でテストを実施して、残課題を明確にして午後には仕事を終えました。上海で一人で食事をとれる場所って少ないですね。行きたいなあと思った店はありましたが、一人で食べてる人がいなくて入れませんでした。結局、バーキンで最後の夕食でした。バーキンが食べられる程度に回復したので、それはそれでよかったんですけどね。
ホテルからオフィスへの道で(1)
ホテルからオフィスへの道で(2)地下鉄のエレベーター
ホテルからオフィスへの道で(3)
ホテルからオフィスへの道で(4)川の景色
ホテルからオフィスへの道で(5)泊まったホテル(明城大酒店)
ホテルからオフィスへの道で(6)公園
ホテルからオフィスへの道で(7)公園2
公園の禁止事項~わかる、凧揚げ禁止犬は飼い主不在か?
翌朝は3時半起床なので、寝る前に帰り支度を整えてから就寝し、翌4時半にチェックアウトしてタクシーで空港に向かいました。空港でお土産買おうと思いましたが、その時間、お店が空いてるわけもなく。。。でもこの時間の便だと、家にお昼の12時に着きます。その日も有効に使えるので、いいこともあるなと思いました。
まあギリギリの線で仕事、体調とも回復したって感じでしたが、それも上海のメンバーの手助けによるものです。本当に感謝です。
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今年のゴールデンウィークは高速道路の渋滞が凄かったです。春休みに旅行できなかったことや、遠出を避けて車で旅行が多かったことなど震災の影響かも知れません。今朝8:15に家を出発し、高速に乗って渋滞にはまりつつ、前橋ICを下りてから事前にネットでランキングを調べておいたケーキ屋ガトーマルシェ(前橋店)でケーキを買って、10:30頃、妻の実家に到着しました。(妻のお母さんの誕生日でしたので。)
ガトーマルシェ(前橋店)で買ったケーキ
お昼はいとこの家で、手作り石釜でピザを焼いてくれるというので、遊びに行きました。
石釜の中でピザが焼けてます
石釜は美しさも感じます
ピザが焼き上がりました
お腹一杯ピザを食べた後の団欒
帰り際に石釜の前で撮影
ピザ美味しかったです。また食べに行きます。
今度はパンも焼いてみたいです。
いつも遊びに行ってご馳走になってばかりですけど。。。
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田野畑村の従兄の家は津波に流されてしまったとのことですが、命は助かったとのこと。
宮古のおばさん達はずっと安否不明でしたが、先程、避難所で無事ということが分かりました。
ひとまずホッとしました。
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人生の中で一番大きな地震でした。オフィスにいましたが、とても大きく長い間揺れました。
大きな被害が出たところのことを考えると、書くに堪えませんが、自分の体験を記録しておこうと思います。
自分の近くの蛍光灯が天井から落下しました。
自席付近で落下した蛍光灯
書籍が落下
本震後も余震が続き、ビルの中が安全なのか外に出た方がいいのか分かりませんでしたが、周りの社員と近くの学校の校庭に避難しました。
解散してから、電車が止まっていたので、自宅に徒歩で向かいました。
より大きな災害が発生した時、家族のいるところにどれくらいで帰れるか、一度、経路を確認しておきたいとも考えていたので、オフィスに戻ることも選択肢としてありましたが、徒歩で帰宅してみることにしました。
途中、携帯電話での連絡が取れず、メールも遅延しており、家族とコミュニケーションが取れないストレスがありましたが、固定電話同士はつながったので、公衆電話から自宅に電話して状況を確認でき安心しました。結果的に、4時間半で自宅近くの駅の駐輪場に着き、家に帰りつきました。
帰宅途中、赤羽駅の電光掲示板は全線運休
息子は隣の駅で停車中だったため、下車して一駅歩いて自転車で帰宅、妻は、自宅にいましたが、食器棚のグラス類が破損したくらいで済みました。
その後、母や妹家族の無事が分かり、とりあえずホッとしました。ただ亡父の故郷が三陸のため親戚の安否が心配でした。その後、従兄は、家は津波で流されてしまったようですが避難して無事だったとことが分かりました。しかし、他に安否不明の親戚がおり、無事でいることを願っています。
まだ余震が続いてて不安な状態が続きますが、まずは被災者の救出と安全の確保がなされ、そして復旧、復興に向けて力を合わせることができればと思います。
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今日は学校主催のオーストラリアの学校との交換留学の説明会に保護者として出席しました。申込者多数の場合、選抜があるとのことで、何とか通過して行ければと思っています。絶対にいい経験になるはずで、自分も時間が許すなら行きたいくらいです。
あらためて、チャンスは絶対に行動すべきだと思いました。行動すれば成功もするし失敗もします。失敗は次に生かすことができますが、行動しなければ次に成長できるチャンスが来るまで生かせるものがないからです。
自身もいくつになっても行動してみたいと思います。