カテゴリー: 骨髄ドナー
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骨髄提供した患者さんは今頃どうしてるだろうか。8月の提供だったので、年末年始辺りに一報が来るかなと期待していました。まだ、安定していないのかな?と心配になります。感謝の言葉とかを期待している訳ではなく、どうなっているのかだけ知りたいです。他人とは思えないです。
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今日がドナー関連のイベントの最終日でした。何回か通うと慣れてくるもので、血液検査、尿検査を経て、診察待合所で順番を待ちました。
やることがないのと眠かったので、背もたれが垂直の椅子で何とかウトウトしました。どれくらい待ったか、名前を呼ばれて診察室に入り、担当医と挨拶を交わして、検査結果は異常なく、手術の跡も順調に回復しているとのことでした。特に気になるところもなく、最後に「何か骨髄移植の一連のプロセスでご意見ありますか?」と聞かれて、ちょっと考えましたが思い付かなかったので、特にないです、と答えて診察を終了しました。
という感じで呆気なく、終わりました。。。
自分の気持ちも既に落ち着いていて、すごい昔の感覚です。今の日々の生活から一時離れた異空間に行っていた感じです。もう戻ることはない、不思議な場所でした。
夜、コーディネーターさんから確認の電話があり、今後のフォローアップは不要と伝えました。これでコーディネーターさんとも話すことはないでしょう。
「一期一会」ですね。あの人たちに世話になった、あの人たちに誠意をもって接っすることができた、そんな満足感があり、これから先の自分の人生の糧になると思います。
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術後は、結論から言って、順調に回復しました。
少し時間が経って、「患者さんもご家族も届けられた骨髄液を見ながら点滴を受ける」とのことで、希望をつなぐ一助ができたかなと思います。これも自分が幸せである今があるおかげです。健康だし、精神的にも、仕事や社会的にも恵まれているのだなとあらためて感謝の気持ちを持ちました。スタッフの方とは人生の中でほんの一瞬ですが、同じ目的に向かえた、目的を共有できたと思っています。
穴を開けた2ヶ所は圧迫しないと分からないくらいに回復しました。筋トレも退院当日から始めていて、退院翌日に妻と買い物に行った時、頭がクラクラした感じはありましたが、痺れとかそういうものはありません。その後も患部をかなり強めに押さないと分からないくらいになり、ただ腹筋の時にちょうど患部が床にあたるので少し痛みを感じました。あと患部付近にちょっと痒みがありましたが、治りつつある証拠とのことでよかったです。抗生物質は1週間で飲み終わり、鉄剤は2週間です。貧血っぽい自覚症状もなくなりました。
サッカーの方は土曜日の練習試合で1点取りました。筋トレを2週間近く中断しましたが、順調にサッカーにも復帰できそうです。
このブログが他の検討されているドナーに参考になれば幸いです。
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日や場所が分かるといろいろと波紋が広がる可能性がありますので、投稿日時を偽装して投稿します。
<入院前日>
いよいよ明日、入院です。入院の支度を終えて、これから就寝です。何となく旅行感覚で楽しみにしていましたが、その時が迫ってくると結構緊張してきます。いろいろとやりたいことはありますが、あっという間に退院になるのか、結構暇を持て余すのか想像が付きません。この日まで、患者さん、そのご家族、骨髄バンクのコーディネーターさん、最終同意に立ち会っていただいた弁護士さん、理解していただいた会社、同僚、そして家族、様々な関係者の協力があった訳です。あとはお医者様に身を委ねるだけですが、その一員として頑張りたいと思います。
<入院初日>
入院はいつもの出勤と同じように自転車で行きました。PCを持ったり、着替えがあったりでカバンを2個担いで行きました。駅から歩いて入院手続きです。保険証と診察券を渡して確認が済むと、いよいよ病棟へ。病棟は無菌室になっていて、途中で靴を脱いで扉を2つ通って手を洗って消毒してと、気が引き締まりました。病室は個室でとてもきれいでした。窓からは東京タワーが望めました。採血、検尿と担当医、麻酔科医、薬剤師、看護士が入れ替わり説明と問診に来ました。結構、大ごとだなと思いつつ、仕事の方でトラブルが発生していたため、病室でパソコン開いて仕事していました。昼食、夕食をいただいて下剤を飲んで21時以降飲食禁止でした。シャワーも当分浴びれないので入りました。仕事が一段落して22時頃就寝しました。よく眠れたと思います。
<手術当日>
いよいよ手術日です。朝一で看護士さんに浣腸を入れてもらい、3分くらい我慢してトイレで一気に排出。便が出たのを確認する必要がありナースコールして確認してもらいました。顔を洗ってから手術着に着替えて待機していると、車いすで手術室へ移動です。途中で転んで怪我されると困るとのことで大事をとってです。患者さんが待っている訳ですから自分が無事手術台の乗らないとまずいからです。手術室へ直行かと思ったのですが、手術待合室みたいなところがあって、そこで病棟の看護師さんから手術担当の看護師さんに引継ぎです。その場で他の手術を受ける患者さんを見ましたが、乳児、幼児、小学生くらいの男の子とかいました。男の子が手を振って手術室に向かう時、両親が不安そうに見送っていたのを見て、衝撃的でした。普段、健康に生きていると分からない世界です。健康でいられることにあらためて感謝しました。そうこうしているうちに、自分の担当の看護師さんが挨拶に来ました。歩いて手術室に入りました。これが手術室だ、と思うような手術室でベッドに横になると、左から右から「点滴の針刺します」、「心電図付けます」、とか言われて冷静に周りを確認しながら麻酔が始まるのをドキドキして待っていました。ドキドキしたのはこの瞬間だけでした。では「麻酔の準備始めますよ」と言われると急に眠気が襲ってきて、徹夜して眠気に負けて寝てしまった感じの感覚で、最後に「麻酔、効いてきましたか?」の問いに「はいー」って言ったのを最後に、次起きたら静かな部屋にいました。恐らく手術室の隣の部屋とかだと思います。身動きできないので「今何時ですか?」と聞いたら確か「11時」と言われました。2時間くらい仮死状態だったということです。夢を見たような気もしますが、だんだんと目覚めてきて病室に戻りました。酸素マスクと点滴で身動き取れず、夕方から寝返りくらいはいいとのことになりました。まだ食事は摂れません。ただ点滴で栄養と水分が入っているので、お腹も空きませんし、喉も渇きませんでした。傷は思った程痛くなく、座薬も嫌だったので少しくらいは我慢しようと思いました。その夜は片手でiPhoneを操作する以外は何もできませんでした。夜からおしっこが頻繁にしたくなって夜中に何度もしびんを清掃してもらうお願いを看護士さんにしました。それもあり、ほとんど熟睡できませんでした。こんな話だったっけ?と、ちょっと辛かったです。
<採取翌日>
朝は麻酔が切れて痛みが少し出ました。腰痛みたいなギックリ腰みたいな感覚でした。寝返りを打ってもむず痛い感じでしたが、ベッド疲れだったかも知れません。術後の診察で経過は順調で点滴が外れ、ようやく10時頃、遅い朝食を摂りました。トイレも行けます。仕事のトラブルが収束しておらず、午後から仕事の続きでした。夕方、妻が見舞いに来てくれて、院内のレストランでお茶してディナーを食べました。まずは成功に感謝です。妻が帰った後も23時近くまで仕事して疲れ果てて寝ました。
<採取2日目>
朝、荷物の整理をして、着替えて、洗顔、体を拭いて、洗髪して退院に備えました。採血、採尿し検査の結果問題なし、痛みの方も患部を圧迫しなければ分からないくらいになりましたので、退院です。コーディネータの方が迎えに来てくれて一緒に退院手続きをして帰路につきました。駅に向かう時、コーディネータの方に「このような貴重な機会を与えていただき、ありがとうございました。」と挨拶して別れました。本当に心からそう思うことができました。
<感想、その他>
患者さんにはきちんと届けられ、移植されているだろうとのことでした。詳細は知ることができませんが、これから拒絶反応とかに耐えて患者さん自身のものになってもらえたらと思います。頑張ってください。手紙は1年間の間だけ2回交換できます。双方特定できない内容にしなければなりませんが、年末くらいに書いてみようかなと思います。
手術を担当していただいた医師に手術中の写真を撮ってもらいたいとお願いしましたが、取材等でかつ院長の許可を取ったりする必要があるとのことで断念しました。話を伺うことができ、「とてもよく取れました」と言われましたので、「それは褒められているのですか?」と聞いたら骨が健康ということらしいです。日々の筋トレやサッカーのお蔭かなと思いました。血液検査の結果も良好(ドナーになれるだけでかなり良好らしい)とのことで、脂肪肝の解消だけアドバイスされました。
病室のエアコンはとてもやわらかい空気でした。湿度も高めに設定してあるようで、髪の毛のクセが出てボサボサで過ごしました。のどは少し声が上ずった感じになりましたが痛みはほとんどなく、熱も36.9度までしか上がりませんでした。最初に食べた後、少し下痢になったくらいです。
先生方、看護士さんたちには本当にやさしく接してもらえました。ひとり一人にお礼を言いたかったのですが、「日中担当の○○です」とか「夜担当の○○です」とか言うだけで終わりの時は来てくれません。忙しいので仕方ないですね。
今回は、ボランティアとして骨髄提供を行いましたので、健康な状態での入院です。お産以外は皆、病気や怪我での入院です。そういう意味で、入院という体験ができたのは本当に貴重な体験だった訳です。本当に居心地がよかったので、また行きたいなと思うくらいです。でも行く時は病気ということですから、行かない方がいい場所なんですね。でもそこには本当に笑顔で親切に接してくれるスタッフの方々がいることを知り、自分もそう思ってもらえるようにプロとして仕事をしたいとあらためて思いました。もう一度、提供の機会があったらまた行きたい場所です。
最後に締めくくります。
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関係者すべての方へ
この度は貴重な機会をご支援いただきありがとうございました。
また関係者の皆様の温かいサポートにより、役割を果たせたと思っています。
心から感謝しています。
微力ながら誰かに貢献した(やってあげたという思いが強くなってもいい)のに、
感謝の気持ちを持てるのは不思議な感覚です。
それは受けた感動の方がとても大きいということです。
是非、多くの人に理解をしてもらい、参加してもらいたいです。
これからも多くの人のつながりで、命が救われることを祈ります。
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骨髄採取に向けて、全身麻酔の説明を聞き、同意しました。全身麻酔中は夢を見る人もいるらしいです。麻酔から覚めた時も朝の寝起きの感じらしいです。貴重な体験なのでどんな感じになるか興味深いです。
そして2回目の自己血採血。前回、秤の設置場所の問題で400ccのところ500cc採ったとのことで、今回は300ccと思っていたのですが、250ccでいいと言われて、「前回550ccだったんじゃん」とちょっとショックでした。まあ前回500cc採ったと言われて、心理的にクラクラ来たのですが、さらにクラクラ来た感じでした。血液の保存状態は大丈夫なのか確認したら、550ccの保存用の処理を行って保管してあるとのことで、結果オーライです。貧血気味の人だったら大変だったかもしれません。
今回はあっという間に採血が終わってしまって、もうちょっとベッドで横になっていたかった感じでした。
次回は本番採取入院です。自分にしては珍しく、サッカーの試合も休んでその日に備えます。自分の体調管理も重要ですが、怪我をして待っている患者さんに迷惑を掛ける訳にいかないからです。既に放射線治療で自分の骨髄が入ってくる前提で準備を進めているので後戻りできません。自分にはその責任がかかっているということです。
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6月はとにかく忙しかったです。上海から帰国したのが5/29でしたから、1ヶ月前のことではないような気がするくらい長かったです。ほとんどオフィスの自席におらず、お客様先での作業でした。結果的には若干の残作業はありますが、検収いただけました。また、グループの目標も達成できたので、誠実に頑張ってきた甲斐がありました。母の入院もあったりしたので、よく乗り切れたなあと、周りのメンバーや家族に感謝です。
昨日、新年度のキックオフ会があって社長と話をしましたが、いい話をしてもらいました。社長「よくやったね。」、自分「周りのメンバーのお蔭です。自分だけでは何も。。。」、社長「周りのメンバーを巻き込んで、影響を与えたことがすごいんだよ。」と。うれしかったのと、ああ、(プロジェクトって)こういうことなんだ、とあらためて思いました。でも実際、周りのメンバーがいなかったら大変なことになっていたと思います。
あと忘れてならないのが、お客様のご協力です。6月末にカウンターパーソンの方に作業終了後、飲みに誘われたのですが、是非、長いお付き合いを、って先方から言ってもらえたことです。足らないところが多々あったと思いますが、自分としては誠実に努力することだけでしたので、そのことを受け止めていただけたのかなと思いました。
また、開発パートナーの皆様の協力なくして始めることすらできなかったと思います。要件定義から設計、その後の仕様変更や課題への対応、上海のPMも毎日午前3時まで残業して対応いただきました。こちらは課題を数行で連絡するだけですが、実際に影響範囲の特定、コーディング、テストなど実作業は大変なことだったと思います。
今回のプロジェクトは、ちょうど震災の直前に開始し、震災の翌週、お客様と要件定義のために本数の減った電車で通った特別な意味があるプロジェクトでした。私自身が成長できたことはもちろん、プロジェクトに参画したお客様、パートナー様を含めた30人くらいの方に何らかの影響があれば幸いです。それにしても、仕事のことをブログで書いたのって久々のような気がします。
日曜のサッカーだけは休まず、参加しました。でも成績はよくなかったです。なのでブログも書く気分になりませんでした。自分のパフォーマンスも悪く、足首痛もあるのですが、やはり勝利が一番必要です。早く足首痛を治して、ベストコンディションに持っていきたいです。
先日、骨髄提供に同意しました。妻にも同意書にサインしてもらいましたので、この後は自分から断ることはできません。妻に理解してもらえてとても感謝しています。同意面談が終わった後、妻と東京プリンスホテルのブッフェレストラン ポルトに行ってランチしました。暑い日でしたが、妻と平日に都内でランチしたのは、いつ以来かと思います。ランチ後、増上寺に行ったら、七夕が近いためか、短冊に「骨髄提供により、患者さんが助かりますように。」と書きました。
天気のいいガーデンを見ながらのまったりランチ
増上寺と東京タワー