月: 2011年8月
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部活が休みでなまってるらしく、夜、一緒に走ることにしました。一昨年くらいからスピードではかなわなくなりました。自分も25年前には父親を軽々周回抜かししたものです。そんな歳になったんだな~と寂しさと嬉しさが入り混じります。でもサッカーではまだ負けません!
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いつも行っているもんじゃ焼き屋が夏休みだったため、前から行ってみたいと思っていた海鮮もんじゃ屋に行きました。月島にはたくさんもんじゃ焼き屋があって、いつもの店が閉まっているとどこ行くかすごく迷うので、いつもの店に行く時も常に気になる店を探しながら歩くといいと思いました。
おっと、写真撮るの忘れた。というか、メイキングに集中していたため、仕方なかったです。一緒に食べた友人に撮ってもらえばよかった。。。
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朝雨が降っていると、通勤手段に迷います。自転車だと髪の毛のクセが出てしまい1日嫌な気分で過ごすことになりますが、バスだと時間通り来ないし帰りも面倒です。
今朝は妻に車で送ってもらおうとしたら、ちょうど雨が止んだタイミングだったため、自転車で行くことにしました。途中で小雨がパラついて傘をさして行きましたが、やはり髪の毛のクセが出てしまいました。そろそろ床屋に行った方がいいかな。
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昨日の練習試合で調整して、今日は1か月ぶりの復帰戦の予定でしたが、雨天で順延になりました。気温が低くてちょうどいいと思っていたのですが、思ったより雨が降ってしまい残念でした。来週の試合に備えて、筋トレの量を中断前と同じに増やして強化したいと思います。
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術後は、結論から言って、順調に回復しました。
少し時間が経って、「患者さんもご家族も届けられた骨髄液を見ながら点滴を受ける」とのことで、希望をつなぐ一助ができたかなと思います。これも自分が幸せである今があるおかげです。健康だし、精神的にも、仕事や社会的にも恵まれているのだなとあらためて感謝の気持ちを持ちました。スタッフの方とは人生の中でほんの一瞬ですが、同じ目的に向かえた、目的を共有できたと思っています。
穴を開けた2ヶ所は圧迫しないと分からないくらいに回復しました。筋トレも退院当日から始めていて、退院翌日に妻と買い物に行った時、頭がクラクラした感じはありましたが、痺れとかそういうものはありません。その後も患部をかなり強めに押さないと分からないくらいになり、ただ腹筋の時にちょうど患部が床にあたるので少し痛みを感じました。あと患部付近にちょっと痒みがありましたが、治りつつある証拠とのことでよかったです。抗生物質は1週間で飲み終わり、鉄剤は2週間です。貧血っぽい自覚症状もなくなりました。
サッカーの方は土曜日の練習試合で1点取りました。筋トレを2週間近く中断しましたが、順調にサッカーにも復帰できそうです。
このブログが他の検討されているドナーに参考になれば幸いです。
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お盆でお線香を上げに親戚の家に行ったら、今日は夕飯食べて行きなさいって感じで、お言葉に甘えました。
ちょうど従妹の家族も来て、屋上から花火大会を観るということで、大勢で夕飯を食べて、スイカを食べながら花火をゆっくり鑑賞することができました。
花火大会と言えば、混雑で大変な思いをして途中で飽きてしまうものですが、じっくり椅子に座って見れたので、最初から最後まで楽しめました。
豪勢な夕食(1)
豪勢な夕食(2)
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息子が帰国したので、妻の実家からお母さんとお姉さん夫婦がホームスティの報告を聞きに遊びに来てくれました。平日でしたが、折角来てもらった会えないのは残念なので、休暇を取得して出迎えました。
昼食をどうしようか妻と考えて、手巻き寿司にすることにしました。具材を買いに行っている間に、到着していて少し休んでから手巻き寿司を楽しみました。外食も考えたのですが、部屋で団欒できてよかったと思います。
昼食後みんなで撮影
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仕事を終えて、電車で成田空港に向かいました。
息子の乗っている飛行機が着陸するのは21時過ぎなので、22時頃ロビーに出てくるだろうと考え、空港に着いてから夕飯を食べようと思いました。しかし、到着ロビーとレストラン街が遠かったので、改札口の脇のスタバでサンドウィッチを食べて待ちました。成田空港には海外に行く以外では行くことがないので、空港入場検査の際に通常はパスポートを提示しますが何を提示すればいいか悩みました。結局、保険証で身分証明しました。
飛行機は15分遅れで無事着陸し、結局、22時ちょっと前に到着ロビーに出てきました。既に最終3便くらいだったため、到着ロビーは閑散としていて、出てくるまで施設内で暇を持て余していました。帰ってきてみると、息子の姿はそんなに変わった感じはしませんでしたが、きっといろいろなことを吸収してきたんだろうなと思いました。
最後の解散式を終えてから、スカイライナーで家に向かい、駅まで妻に車で迎えに来てもらい、24時前に帰宅しました。
旅の記録手帳を現地到着後早々に無くしたようですが、事故や盗難などなく、友達も一杯でき、ホストファミリーとも楽しく過ごせたようで、大成功だったと思います。結構、費用は掛かりましたが、きっと将来に役立つはずで、そうしてもらえればと思います。
到着ロビーにて
到着ロビー(1)
到着ロビー(2)
到着ロビー(3)
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映画「オーケストラ」をDVDで観ました。クラシック音楽が好きなので、馴染みのある曲を聴きながら、ストーリーを追いました。ロシアの歴史的な背景の中で解散したメンバーが再度集まるチャンスを得ます。
オーケストラもチームプレーですね。サッカーにつながるところがあると思います。残念ながら楽器の演奏はできないので、鑑賞だけです。
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日や場所が分かるといろいろと波紋が広がる可能性がありますので、投稿日時を偽装して投稿します。
<入院前日>
いよいよ明日、入院です。入院の支度を終えて、これから就寝です。何となく旅行感覚で楽しみにしていましたが、その時が迫ってくると結構緊張してきます。いろいろとやりたいことはありますが、あっという間に退院になるのか、結構暇を持て余すのか想像が付きません。この日まで、患者さん、そのご家族、骨髄バンクのコーディネーターさん、最終同意に立ち会っていただいた弁護士さん、理解していただいた会社、同僚、そして家族、様々な関係者の協力があった訳です。あとはお医者様に身を委ねるだけですが、その一員として頑張りたいと思います。
<入院初日>
入院はいつもの出勤と同じように自転車で行きました。PCを持ったり、着替えがあったりでカバンを2個担いで行きました。駅から歩いて入院手続きです。保険証と診察券を渡して確認が済むと、いよいよ病棟へ。病棟は無菌室になっていて、途中で靴を脱いで扉を2つ通って手を洗って消毒してと、気が引き締まりました。病室は個室でとてもきれいでした。窓からは東京タワーが望めました。採血、検尿と担当医、麻酔科医、薬剤師、看護士が入れ替わり説明と問診に来ました。結構、大ごとだなと思いつつ、仕事の方でトラブルが発生していたため、病室でパソコン開いて仕事していました。昼食、夕食をいただいて下剤を飲んで21時以降飲食禁止でした。シャワーも当分浴びれないので入りました。仕事が一段落して22時頃就寝しました。よく眠れたと思います。
<手術当日>
いよいよ手術日です。朝一で看護士さんに浣腸を入れてもらい、3分くらい我慢してトイレで一気に排出。便が出たのを確認する必要がありナースコールして確認してもらいました。顔を洗ってから手術着に着替えて待機していると、車いすで手術室へ移動です。途中で転んで怪我されると困るとのことで大事をとってです。患者さんが待っている訳ですから自分が無事手術台の乗らないとまずいからです。手術室へ直行かと思ったのですが、手術待合室みたいなところがあって、そこで病棟の看護師さんから手術担当の看護師さんに引継ぎです。その場で他の手術を受ける患者さんを見ましたが、乳児、幼児、小学生くらいの男の子とかいました。男の子が手を振って手術室に向かう時、両親が不安そうに見送っていたのを見て、衝撃的でした。普段、健康に生きていると分からない世界です。健康でいられることにあらためて感謝しました。そうこうしているうちに、自分の担当の看護師さんが挨拶に来ました。歩いて手術室に入りました。これが手術室だ、と思うような手術室でベッドに横になると、左から右から「点滴の針刺します」、「心電図付けます」、とか言われて冷静に周りを確認しながら麻酔が始まるのをドキドキして待っていました。ドキドキしたのはこの瞬間だけでした。では「麻酔の準備始めますよ」と言われると急に眠気が襲ってきて、徹夜して眠気に負けて寝てしまった感じの感覚で、最後に「麻酔、効いてきましたか?」の問いに「はいー」って言ったのを最後に、次起きたら静かな部屋にいました。恐らく手術室の隣の部屋とかだと思います。身動きできないので「今何時ですか?」と聞いたら確か「11時」と言われました。2時間くらい仮死状態だったということです。夢を見たような気もしますが、だんだんと目覚めてきて病室に戻りました。酸素マスクと点滴で身動き取れず、夕方から寝返りくらいはいいとのことになりました。まだ食事は摂れません。ただ点滴で栄養と水分が入っているので、お腹も空きませんし、喉も渇きませんでした。傷は思った程痛くなく、座薬も嫌だったので少しくらいは我慢しようと思いました。その夜は片手でiPhoneを操作する以外は何もできませんでした。夜からおしっこが頻繁にしたくなって夜中に何度もしびんを清掃してもらうお願いを看護士さんにしました。それもあり、ほとんど熟睡できませんでした。こんな話だったっけ?と、ちょっと辛かったです。
<採取翌日>
朝は麻酔が切れて痛みが少し出ました。腰痛みたいなギックリ腰みたいな感覚でした。寝返りを打ってもむず痛い感じでしたが、ベッド疲れだったかも知れません。術後の診察で経過は順調で点滴が外れ、ようやく10時頃、遅い朝食を摂りました。トイレも行けます。仕事のトラブルが収束しておらず、午後から仕事の続きでした。夕方、妻が見舞いに来てくれて、院内のレストランでお茶してディナーを食べました。まずは成功に感謝です。妻が帰った後も23時近くまで仕事して疲れ果てて寝ました。
<採取2日目>
朝、荷物の整理をして、着替えて、洗顔、体を拭いて、洗髪して退院に備えました。採血、採尿し検査の結果問題なし、痛みの方も患部を圧迫しなければ分からないくらいになりましたので、退院です。コーディネータの方が迎えに来てくれて一緒に退院手続きをして帰路につきました。駅に向かう時、コーディネータの方に「このような貴重な機会を与えていただき、ありがとうございました。」と挨拶して別れました。本当に心からそう思うことができました。
<感想、その他>
患者さんにはきちんと届けられ、移植されているだろうとのことでした。詳細は知ることができませんが、これから拒絶反応とかに耐えて患者さん自身のものになってもらえたらと思います。頑張ってください。手紙は1年間の間だけ2回交換できます。双方特定できない内容にしなければなりませんが、年末くらいに書いてみようかなと思います。
手術を担当していただいた医師に手術中の写真を撮ってもらいたいとお願いしましたが、取材等でかつ院長の許可を取ったりする必要があるとのことで断念しました。話を伺うことができ、「とてもよく取れました」と言われましたので、「それは褒められているのですか?」と聞いたら骨が健康ということらしいです。日々の筋トレやサッカーのお蔭かなと思いました。血液検査の結果も良好(ドナーになれるだけでかなり良好らしい)とのことで、脂肪肝の解消だけアドバイスされました。
病室のエアコンはとてもやわらかい空気でした。湿度も高めに設定してあるようで、髪の毛のクセが出てボサボサで過ごしました。のどは少し声が上ずった感じになりましたが痛みはほとんどなく、熱も36.9度までしか上がりませんでした。最初に食べた後、少し下痢になったくらいです。
先生方、看護士さんたちには本当にやさしく接してもらえました。ひとり一人にお礼を言いたかったのですが、「日中担当の○○です」とか「夜担当の○○です」とか言うだけで終わりの時は来てくれません。忙しいので仕方ないですね。
今回は、ボランティアとして骨髄提供を行いましたので、健康な状態での入院です。お産以外は皆、病気や怪我での入院です。そういう意味で、入院という体験ができたのは本当に貴重な体験だった訳です。本当に居心地がよかったので、また行きたいなと思うくらいです。でも行く時は病気ということですから、行かない方がいい場所なんですね。でもそこには本当に笑顔で親切に接してくれるスタッフの方々がいることを知り、自分もそう思ってもらえるようにプロとして仕事をしたいとあらためて思いました。もう一度、提供の機会があったらまた行きたい場所です。
最後に締めくくります。
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関係者すべての方へ
この度は貴重な機会をご支援いただきありがとうございました。
また関係者の皆様の温かいサポートにより、役割を果たせたと思っています。
心から感謝しています。
微力ながら誰かに貢献した(やってあげたという思いが強くなってもいい)のに、
感謝の気持ちを持てるのは不思議な感覚です。
それは受けた感動の方がとても大きいということです。
是非、多くの人に理解をしてもらい、参加してもらいたいです。
これからも多くの人のつながりで、命が救われることを祈ります。