月: 2013年1月
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請け負っている仕事の一つに、技術問い合わせ対応業務があります。日中、いつ入ってくるか分からないし、入ってきたら1時間以内に受付応答しなければならないし、何件も集中することがあったり、サポート対象のシステムのことも分からないことが多く結構きついです。
乗り越えて自分のものにできたら強力なノウハウになるので、何とか頑張っていきたいと思います。
明日までに提案書、とかの仕事の方がメリハリがあっていいのかなあ。どっちもどっちか。。
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岩手の旅はとても刺激的でした。肉体的な疲れはほとんどありませんでしたが、自分の子どもの頃の思い出とか、父の幼い頃の話に触れたり、震災被害のこと、そして起業している今、30年くらいの期間のことがどっと押し寄せてきた感じです。
もう1月も終わりで2月が頑張り時です。サッカーもシーズンが始まるので、バランスとって乗り越えていきたいです。
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仕事が楽しくて仕方ない時と、沈んでダメな時と波があります。月末ということもあり、納品や請求、支払い、仕訳入力など面倒なことがたくさんあります。明日はきっとよくなると信じて今日できることをしっかりとやりたいと思います。
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親戚がいるにもかかわらず震災後に一度も行けず、今回披露宴の招待状をもらって被災者である親戚に肩を押してもらう形で32年振りに父の故郷である田野畑村を訪れました。
30年前がどんな村だったかほとんど記憶はありませんが、家があるべき場所にないことははっきり分かり、さすがに瓦礫はなくなっていましたが大きく欠けたコンクリートの堤防などから、自然の力の大きさを見ることができました。
親戚の家は流されなかったものの1Fが浸水し仮設住宅住まいでした。それでも家が流されて何もなくなった人よりマシだとのことでした。流された人に聞いたら写真1枚出てこなかったと聞きました。何も言えませんでした。
仮設の中に入りましたが、狭い分、暖房効率が良いのか思ったより暖かかったです。おばさんは「次の冬には家に移れるかな?」と言ってましたが、移転予定地を見てきましたが遺跡発掘で時間が掛かり、これからようやく地盤整備の段階でまだ1年以上かかりそうだとのことで、日々の仮設住宅暮らしがこたえているんだろうなと思いました。
浸水した家は直さないのか?と聞くと、建てても津波で流されるかもしれないことを考えると踏み切れないとのことでした。
また父の生まれ育った本家旅館にもお邪魔して、所有していた土地の大部分が津波浸水地域と認定され、宅地としての価値が0円になってしまったそうです。石垣が家は守ってくれましたが、それぞれがいろいろなものを失って傷ついていることが分かりました。
そういう状況を抱えながらも、地元のホテルが復旧して最初の披露宴を行うことを決めて、招待していただいた訳です。誘われて欠席するわけにはいきませんでした。
ホテルの部屋の窓からの海は穏やかですが、いつも津波に備えて過ごしてきたこの地域の人たち、そして実際に被災して今も不便な生活をしています。それでも地元に残り、地元の産業復興に尽力しています。やはり人のつながりがそうさせてるんだなと思いました。
自分ができることは人のつながりを増やすこと。親戚のいる岩手と今、自分の身近にいる友達をつなぐことで何かが生まれると思います。
朝の太平洋
朝の羅賀港
弁天島
羅賀トンネル
朝の平井賀港
家が流された平井賀地区(1)
家が流された平井賀地区(2)
本家旅館(1)
本家旅館(2)
本家旅館(3)
本家旅館(4)
本家旅館(5)
家が流された平井賀地区(3)
本家旅館(6)
家が流された平井賀地区(4)
家が流された羅賀地区
宮古の魚菜市場
盛岡市内からの岩手山
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朝食後、お風呂に入って午前中はゆっくり過ごしました。
13時からの披露宴でしたが、羅賀荘が復旧して最初の披露宴ということで、地元の人たちにとって感慨深かったと思います。
披露宴中、父に子供の頃に世話になったとか、懐かしい話を聞いて涙が出てしまいました。父の子供の頃の話は父からもそんなに聞かされたことがなく、しかも見ず知らずの人からそういう話を聞いて感動しました。
披露宴は17時頃お開きになり、部屋に戻ってから祝宴が続きました。皆人当りがよく、よく飲み、22時まで続きました。自分も普段はここまで飲みませんが、そういう雰囲気だったと思います。
ホテル羅賀荘のロビー
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夜行バスはお酒飲んで熟睡を目指しましたが、2時間おきに起きて、尾てい骨も痛くなって、今回も懲りたけど、時間を有効活用して移動できるので重宝です。7時に宮古に着いて市場で朝食を摂ろうと思いましたが、電車までの時間がなかったため、駅のそば屋で食べました。
それから電車に乗って、津波被害により連絡バスでの移動になる小本駅にたどり着いたら何と、バスが午後までありません。仕方がないのでお誘いいただいた従兄の山根さんに電話して迎えに来てもらいました。
そのまま車で仮設住宅にお邪魔して、被災した家(1F部分が浸水し、建物は再生可能な状態)を見てから昼食は海鮮丼をいただきました。
それから仮設に戻りさすがに疲れて昼寝しました。昼寝から起きて披露宴の席次表を作成するのを手伝って北山崎に連れて行ってもらい、ホテル羅賀荘にチェックインしました。夕食まで仕事しましたが、ネットがとても不安定で遅くてイライラしました。
夕食は一人で淋しかったのですが、隣の席の人が披露宴に参加される方で、一緒に飲みましょうって誘ったら飲んでくれました。やっぱり食事は会話とともに楽しみたいです。食事が終わってから大浴場に入って残りの仕事を片付けて寝ました。
32年ぶりに父の故郷を訪れて、懐かしいと思える部分と、こんなだったかな?みたいなところもあったりして、被災や復興の話とともに刺激的な1日でした。
乗った夜行バス
JR宮古駅(1)
JR宮古駅(2)
三陸鉄道北リアス線時刻表
三陸鉄道宮古駅
三陸鉄道電車
田野畑村羅賀の風景(1)
田野畑村羅賀の風景(2)
田野畑村羅賀の風景(3)
北山崎(1)
北山崎(2)
北山崎(3)
北山崎(4)
北山崎(5)
北山崎(6)
北山崎(7)
北山崎(8)
北山崎(9)
北山崎(10)
羅賀港(1)
羅賀港(2)
羅賀港(3)
羅賀港(4)
羅賀港(5)
ホテル羅賀荘の部屋
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これから夜行バスで岩手に行きます。親戚の結婚式です。仕事は多忙ですが、震災で家を流されたにも関わらず、頑張っているところを見せてもらおうと行くことにしました。きっと発見があると思います。
出発の22時まで時間あるので、ビアホールに入って、初めて一人で飲んでいます。お店に入ってみると、結構一人で飲んでいる人がいて、驚きました。お酒はみんなで盛り上がるためものって感じだったので、何で一人で飲んでるんだろうなーと思いを巡らせています。
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ここ2週間以内に7案件提案がありました。これだけの提案機会をいただけるだけでありがたいです。
今週末までに一通り提出して結果がどうなるかサラリーマン時代と比べられないくらいとてもドキドキです。
全部取れると1年目から大きな成長のチャンスを得ることになります。
もちろん、すべての案件を計画の範囲でクロージングしなければなりません。
一筋縄ではいかないと思いますが、チャレンジしてみたいと思います。